2018年 12月のメッセージ 担当:大月浩史

12月のメッセージを担当させていただきます、カウンセラーの大月です。

 

おかげ様で様々なところで研修の講師や講演会を依頼されることが増えてきているのですが、先日、「明日は今日より良い日になる」というテーマで講演をして欲しいと依頼がありました。

 

カウンセラーとして仕事をしておりますので、必ずしも「明日は今日より良い日になる」と思うことができる人ばかりではないということはよくわかっていますし、自分自身で振り返ってみても、そのような考えで生きてきたわけじゃないなと気付くわけです。こういう講演をお願いされるということは、明日に希望を持てない人が多いから前向きに考えられるような話をして欲しいということなんだろうなということもわかります。

 

 心も持ちようや物事の捉え方を変える視点でお話をすることはできますが、現実的に、重い病気の人や被災した人、明日食べるものを買えないほどお金に困っている人などがいたとして、そのような人の心に響く話などできるわけがありません。

 

 

 私たち心理臨床家の前に現れる方というのは、カウンセリングや心理療法に問題の解決を期待している方です。解決することがなかなかに難しい現実の中で困っており、自分ではどうにもできないから「心理療法というよくわからないけど凄そうなもの」に期待している。もちろん、心理療法を続ける中でその解決困難な現実が変容することができる方もいらっしゃいます。「ありがとうございます。」と感謝のお言葉をいただくこともあります。しかし、それは私(心理臨床家)が解決したのではなく、「心理臨床家との間で行われた対話や心の交流により、ご本人が変化したこと」が解決につながっているのです。コラボレーションというか、共同作業の結果みたいなものです。あくまでも、解決はご本人自身の力で行われているという事実を、この文章を読んでいる方に覚えていて欲しいなと思います。どんな困難に身を置かれている人でも誰かと一緒に考えていくことで自分自身の力で未来を切り開き、乗り越える力を持っているということです。

 

さて、冒頭の講演の話に戻りますが、「どんな人でも自分自身で困難な現実を乗り越える力を持っている」というのであれば「明日は今日より良い日になる」というニュアンスに近いのかもしれないなと気が付きました。つまり、ひとりでは解決ができないことでも誰かと一緒に考えていくことで解決する「かもしれない」ということです。「かもしれない」というのがポイントですね。「100%」じゃない。ただ「0%」でもない。明日は今日より良い日になる「かもしれない」というが本当のところなんでしょう。この世の中に絶対ということはありません。不確定だからこそ努力し、だからこそ達成したときの充実感や自信を得ることができる。そして、それは一人ではなく誰かと共に行うことで成功率が上がるのです。

 

そうは言っても、その「一緒に考えてくれる誰かがいない!」という人もたくさんいると思います。そういう人が近くにいるのに気づいていないだけかもしれないし、いるけど声を掛ける勇気がないのかもしれないし、本当に誰もいない孤独な状態かもしれません。

 

 昔は大家族だったり、親戚付き合いやご近所付き合いが密だったり、人と人が支え合うのが当たり前の世の中でした。個の時代と言われる現代で、支えてくれる人がいないということは必然であり、また社会の課題とも言えます。スマホでいつでもどこでも簡単に人と繋がれる反面、表面上のつながりは手軽になっても深い心の交流はしにくい社会になっています。深く相手や物事に向き合うことがどんどん下手になっているようにも思えます。

 

 だからこそ、心理臨床家が必要になってきているのかもしれません。私たちは専門家として目の前の相手の力を信じ、明日を、希望を信じています。心の専門家というより信じる専門家(あきらめない専門家)なのではないか、と思うこともあるぐらいです。どうぞ、必要なときは専門家を頼ってみてください。

 

偶然なのかわかりませんが「明日」は「明るい日」と書きますね。明日が明るい日だという希望を持ちながら、いつか本当に「明日が良い日」だと思えるまで一緒に考えていける存在でありたいと思います。

 

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2018年 11月のメッセージ 担当:櫻井 由史

11月のメッセージをお伝えします。カウンセラーの櫻井由史です。

時々、ぼんやりと思うことがあります。

 

それは、カウンセリングがもっと身近になればいいのになぁということです。

もっと自分の心に近いニュアンスでお伝えするならば、

カウンセリングが身近にというよりは、

必要としている方に、必要としているものが届けばいいのになぁという感じです。

 

この仕事を続けていられるのは、

目の前に求めている人がいる、そして、関わることで、生まれるものがあるからです。

人と人との関わりは、お互いに影響し合うもので、一方通行なものではありません。

言葉にはならない通じ合うものの力、相性というものもあるのだろうと思っています。

 

人と人とが出会う以上、

越えられないものの存在に対しても、オープンであることが大切だと感じています。

 

そのうえで、僕がもやもやしてしまうのは、

必要としている方と、なんだか上手く出会えないままということです。

 

この仕事を通じて、僕は出会いの素晴らしさを知っています。

だからこそ、伝えたいのは、

もしも心が出会いを求めているならば、その心に素直になってみるのもいい、ということ。

 

いろいろ考えてしまうかもしれません。

初めてのことには不安もあるでしょう。

お金や時間もかかります。

問い合わせる勇気も必要かもしれません。

 

だけど、ここには待っている人がいます。

カウンセラーは待つことが多い。

だからこそ、敢えて、この場をかりて、発信します。

必要な方に届いてほしいと。

 

この文章を読んでくださった方、ありがとうございます。

もし身近に、この文章を必要としていそうな方がいましたら、ぜひ、ご紹介ください。

僕は僕なりの純粋なエネルギーを込めましたので。

出会いを楽しみにしています。

 

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余談ですが、僕は電話での問い合わせが苦手なタイプです(緊張する~(;´・ω・))。

当オフィスではメールでのお問い合わせ・ご予約も可能です。同じようなタイプの方、ぜひ、ご活用ください。

2018年 10月のメッセージ 担当:斯波涼介

こんにちは。10月のメッセージを担当いたします、カウンセラーの斯波です。
とてつもない猛暑と言われていた8月が過ぎて一安心かと思えば、それに負けない残暑が続いたり、記録的な台風が次々と到来してしまったり……と、なかなか気の休まる日がありませんね。10月も、またしても猛烈な台風と共に突入してしまいました。
一連の災害等に被災された方々におかれましては、心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い復興をお祈りいたします。

8月・9月と慌ただしい日々を送っていましたが、個人的にはひと段落ついた感じがしています(天候は全く落ち着きませんが……)。
そんなわけで、9月14日に公開となった映画「プーと大人になった僕」を観てきました。
知っている方も多いと思いますが、この映画は「くまのプーさん」に出てくる男の子「クリストファー・ロビン」が大人になり、あるきっかけから、100エーカーの森で共に時間を過ごした「プーさん」やその仲間たちと再会を果たす物語です。
とても癒されました。詳しく感想を述べたいのですが、そうするとどうしても内容に触れなければならないので……ぜひ、映画館に足を運んでみてください。
誰もが知っている「プーさん」や、個性あふれる100エーカーの森の仲間たちの魅力を再確認できます。
個人的には、クリストファー・ロビンのある行動に伴って、イーヨー(陰気なロバ)が目を見開くシーンがあるのですが、そこでなんだかとても感動しました。

映画を見終わったあと、アニメ版「くまのプーさん」が懐かしくなり、DVDを借りて帰宅しました。つまり「プーと大人になった僕」→「くまのプーさん」という順番で観たことになります。
そして「くまのプーさん」を観て気づいたのですが、(当たり前と言えば当たり前なのですが)「プーと大人になった僕」のシーンに中には、元々のアニメのシーンを題材にした、パロディ?オマージュ?のようになっている箇所がたくさんあるのですね。
「あのシーンはここから取ってきてたのか!」と気づける場面がたくさんあって、そういう意味でも面白かったです。
私は先に映画を観ましたが、これから観ようと思っている方は、先にアニメを観ておくのも一興だと思います。

大人になるにつれて、子供のころは想像しなかった「大変さ」や「しがらみ」に取り巻かれてしまうことは、仕方のないことかもしれません。でもクリストファー・ロビンにとってのプーさんのような存在は、きっと誰の心の中にでも存在するのではないかと思います。一時的にはそれを忘れてしまうことがあっても、心が疲れてきたときには、そんな存在をふっと思い出せるといいな……などと考えました。

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2018年 9月のメッセージ

9月のメッセージ担当のオフィススタッフです。

 

今年の夏は例年に無いほどの酷暑となりました。地球温暖化は21世紀を生きる私たちの課題であり、何とかするのは私たちなのかもしれませんが、これ程までに夏の暑さを理不尽に感じたことは今まで無かった様に思います。

阿部オフィスに出勤する日の午前中は晴れている事が多いのですが、「いったい私が何をしたというんだ!」と太陽に憤りを感じたのは一度ばかりではありません。

 

しかし、考えてみると理不尽な出来事というのは今までの生活でも多く体験するものでした。

 

子供の頃、あんなに楽しかった夏休みは9月1日になるとさらりと終わってしまいました。

高校や大学の学生生活も、山あり谷ありではありましたが、ある時期を迎えると自然と終わってしまいました。

 

理不尽なのは太陽だけでも、時間だけでもありません。

 

心理士として職業生活を迎える最初の就職活動の時も、多くの就活生と同じように履歴書を様々な就職先に送るわけですが、20枚か30枚程の私が送った履歴書の多くは、お祈りメール(不採用だった時にはこのような郵便が届きます)となって返ってきました。

 

このように振り返ると、日々の生活の中で理不尽な体験と言うのは、自分が希望していないにも関わらず次から次に起こっているものなのだなと思います。

 

これは私に限った事ではなくて多くの方が体験する事かもしれません。

 

・心身の不調で中々思うように日常生活を過ごせない。

・日々努力しているのに学業や仕事が身を結ばない。

・家族や友人の事を想っているのに何故か人間関係が上手く行かない。などなど。

 

自分でも何とかしようと努力をしているのに、中々結果が伴わずにもどかしい気持ちや、落ち込む気持ち、理不尽に感じて憤る気持ちになる方もいらっしゃるのではないかと思います。

 

そのような気持ちを自分の中で一人で抱えておくことは中々苦しい体験であると思います。

私自身も自分の就職活動の時には、先行きが定まらずに不安な気持ちを感じたり、中々採用されない事で自分に価値が無いのではないかと思ったり、お祈りメールばかりが積み重なる中で徒労感を感じたりしていたことは中々辛い体験でもあったように思います。

 

ただ、そのような辛い体験をやり過ごす事が出来たのは、同じような気持ちを抱えて悩みを共有できる同級生や友人の存在であったり、耳を傾けてくれる上司や先輩の存在であったり、離れた土地で応援してくれる親族の存在でありました。片方では理不尽な体験をしていましたが、もう片方では随分幸運にも恵まれていたのだと思います。

 

私のケースは幸運なケースと思いますが、様々な家族の形があったり、様々な生き方が認められている現在の世の中では、苦しい思いをしたり、理不尽な体験に憤っている人のネガティブな気持ちというのは、周囲の人がどう思うだろう?と考えると表現する事がはばかられ、個人で抱え込まざるを得ないような場合もあるかと思います。

一人でそのような気持ちを抱え込むことは随分辛く、大変な思いが伴うことと思われます。

 

家族や友人とは少し違う立場から、そのような辛い気持ちを和らげることや、大変な側面も抱えながら日々を生きて行こうとする人を支える方法の一つが、私たちの提供しているカウンセリングであると思います。

なかなか言葉にしにくい気持ちもあるかと思いますが、少しだけ気持ちを楽にしてみませんか。

 

最後まで目を通していただきありがとうございます。

まだまだ暑い9月になるかもしれませんが、皆さまに実りの秋が訪れる事をお祈り申し上げます。

 

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追伸,夏の暑さは理不尽ですが、良い事もあったりします。

写真は夕立の後に見つけたいつかの虹の写真です。