2024年4月のメッセージ 担当:大月 浩史

こんにちは。カウンセラーの大月です。

 

先日、自分が小学校や中学校で研修講師として話している内容をデータ化してAIに分析してもらうという体験をさせていただきました。すると「愛」について一番多く語っているという結果が出て驚きました。「教育は愛だ」と以前から思っていたのですが、内面と言動が一致しているということは嬉しいことでした。

 

 

そもそも、教育に限らず福祉も医療もみんな「愛」が根底にあるはずです。しかし、忙しさの中で、また具体的な行動や対応の中で「愛」についての感覚が薄くなっていく。毎日のルーティーンとして機械的に動いてしまったり、目の前のものに集中して目的を見失ってしまったり、相手のためにやっていたはずが自分のためになってしまっていたり。愛を持って人に接するって本当に難しいことだなと思います。

 

 

ディズニー映画の「アナと雪の女王」の中で雪だるまのオラフが「真実の愛とは自分よりも誰かのことを大切に想うことさ。」みたいなことを言っているのを観て、なるほどなぁと思いました。愛とは見返りを求めないものなのかと。

 

 

見返りを求めないってすごく難しいですよね。自分も完全にできていません。たまに「こんなに頑張っているのだから、もう少し報われても良いのになぁ」と思ってしまいます。

 

 

例えば「怒り」にしても「悲しみ」にしても、見返りを求めているから起こることです。期待していた反応ではなかったから怒ったり傷ついたりするんですよね。見返りを求めないように生きるということは、人間関係のストレスから解放されることなのかもしれません。

 

 

ところが、見返りを求めない行動をしていると、思いがけずに誰かに感謝されたり、滞っていた物事がうまくいったりすることがあります。求めている時には得られないのに、求めなくなったら手に入る。なんとも不思議ですが、人生とはそういうものなのかもしれません。

 

 

ビートルズがその昔「愛こそすべて」と歌っていましたが、本当にそう思います。心がないAIが「愛」という答えを導き出すのは面白いなと思いました。そんなAIの評価に負けないよう、私も愛のある人間でありたいと思います。

 

 

2024年3月のメッセージ 担当:津久井 達也

こんにちわ。みなさまいかがお過ごしでしょうか?
ポカポカ陽気も安定して春らしい季節になってきていますかね?

3月担当つくいです。
公認心理師としてもまだまだ修行や研修が必要な日々を過ごしていますが...あっという間に「春到来!」です。

私はこの季節になると、悩まされている花粉症に翻弄され『モヤモヤ』過ごしております。



「春の陽気はとても好き!」 「外に出たいけど...出たくない」 ...そんな葛藤を抱いてる日々です。 みなさんは『モヤモヤ』しているとき、どんな過ごし方をされていますか? 私はドラマや映画を観たり、小説を読んだりしながら、気分転換(?) やり過ごして(?)います。 基本的な好みは「ミステリー」ですが、「コメディ」の要素が混ざっているものが気分がポジティブになりとても好きです。 先日見たドラマでは、「『引く(と書いてある)』ドアをいくら『押し』ても開かないんだよね...」という真面目に語ってるシーンがありました。 ドアではないですけど、「なんだかよくわからないけど、やり方間違ってたっ!」ってこと…あるある!と思いながらクスッと笑ってしまいました。


 そんな「クスッ」と笑ってしまうものにとても惹かれてしまう私ですが、思わず笑ってしまう内容が詰まっているものを少しご紹介させて下さい。 ★【ドラマ】初恋の悪魔 ★【アニメ】スパイファミリー ★【小説】恋のゴンドラ(東野圭吾) 機会があればぜひ見てみて下さい! みなさんの「クスッ」と体験もぜひ聞かせてもらえたら嬉しいです。     ▼▼最後に...▼▼ 子育てモヤモヤ... \「おしゃべり会」開催/ 【日時】3月24日(日)18:15~20:45 【場所】春日部ふれあいキューブ 所長(カウンセラー阿部)と一緒に開催しています。 「葛藤」「クスッと体験」等々...気晴らしの機会になればうれしいです。 ★興味ある方は、所長まで!

2024年2月のメッセージ 担当:田島

二十四節気(にじゅうしせっき)七十二候(しちじゅうにこう)、現代のカレンダーではあまり用いられておりませんが、日本には四季をそれぞれ24等分、72等分に細分化した暦が存在します。植物や生き物の生態を細やかに観察し、その季節ならではの現象から時間の流れを感じられて昔の人々の知恵は素敵だなと感じます。

東京メトロ千代田線の新御茶ノ水駅のホームには二十四節気のタイルアートがありますね。中々見応えがあります。2月は二十四節気で言うところの立春と雨水に当てはまります。

立春は割と耳に馴染みがあって、“春の兆しが感じられる頃”ですが、雨水はあまり耳にしないなと思います。(私だけかもしれませんが・・)“2月18日~3月4日頃の時期で雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃”なのだそうです。

 




そんな2月のメッセージを担当します。田島です。

前回のメッセージで私はカウンセリングと心理療法についてその時に考えていたことを文章にしてみました。案の定、「読みましたよ!」なんていう人は1人もいらっしゃいませんでしたので、必然的に悪い評判も私の耳には届いておりません。そこで、今月も自由に伸び伸びと書かせていただこうかと考えています。

 

今月のテーマは「精神分析的心理療法」について書いてみようと思います。

このブログに興味を持って下さった方の中にはご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、「精神分析」とはフロイトが創始した心理療法の1つの方法で、週に4日ないしは5日、自由連想法を用いて治療者とクライエントが会い続けていくことを指します。

自由連想というのは「思い浮かぶことをなんでも話してください」という方法でその人が日頃から考えている事や困りごとだけでなく、その日に見た夢や何故だかふと思い浮かんだイメージなどを様々に話すことです。それを聴く治療者が時々行う解釈を通して、自分について考えたり、その人の人生で上手く行かなくなっているところを少しずつ変えて行こうとする営みのことを指します。通常は少なくとも2年以上、長い人だと数年間という時間をかけてじっくりとこの作業に取り組むことになります。とても気の遠くなるような作業に感じられるかもしれません。そのような作業で何かを獲得できるか、という保証も無いのですが、創始者であるフロイトは精神分析の目標を「その人の人生における悲劇をありふれた不幸にすること」(*私なりの意訳です)と述べています。

フロイトの生きた19世紀後半から現在に至るまで、精神分析という営みは世界各地で営まれており、日々新しい理論や実践が活発に報告されています。

 

少し、話が逸れますがカウンセリングや心理療法を検討するにあたって、「具体的に困っていることがある」という明確な困りごとや、「こうなりたい」という具体的な理想のイメージが存在する場合には認知行動療法のように現実に働きかける治療法も向いているかもしれません。エビデンスの存在や治療期間が比較的短期間で実施出来る点は認知行動療法の長所であると考えます。

 

しかし、私たちが生きていく上での悩みや困りごとの中には、上手く言葉にならなかったり、何故だか解らないけど同じような上手く行かなさを繰り返してしまったり、明確な要因は思い当たらないのに日々が上手く行かない感覚に苛まれてしまう場合があります。そのような時に自分について深く考えたり、自分の状況や心の内側について腑に落ちる感覚を得ることや、納得して日々を生きられるようになりたいというニーズを持つ人もいらっしゃいます。そのような方にはその人のペースで自分について探求する方法として精神分析ないしは精神分析的心理療法が役に立つ可能性があると考えます。

 

上述した様に精神分析には100年以上に渡る歴史や研究の積み重ねが存在します。しかし、日本に限らず現代の社会では1週間の内の4日、ないしは5日、各セッションの時間は1時間に満たないとしても、心の治療のために時間とお金を確保することの出来る人はごく僅かであろうと思われます。

 

そこで、特に現代の日本で広く行われているのが「精神分析的心理療法」です。「精神分析的心理療法」とは週に1回から3回と、精神分析に比べると治療者とクライエントが会う頻度が少なくなります。そのため、「精神分析」と全く同じ営みがなされているとは言い難いのですが、精神分析学から得られた知識や理解を基に心理療法を行っていくことになります。何を達成するかによって時間を要するかもしれません、また、「精神分析」に比べると「精神分析的心理療法」の方が治療者と会っていられる時間が短くなるので、それだけ取り組めることや達成できることが限定される場合もあるかもしれません。しかしそれでも、継続しやすい点やユーザーがアクセスしやすい点は「精神分析的心理療法」の利点であると思われます。近年はうつ病に対する心理療法の効果研究においては、ロングスリーパー効果と言うのだそうですが、認知行動療法による治療よりも精神分析的心理療法の効果は長期間持続し、再発が起こりにくい、という利点が明らかになっているそうです。

 

この文章を書いている時点で私がこの治療方法について、意味のあるものである、ユーザーが生きることに役立つだろうと考えているのは、治療者による手助けを借りながらも、治療の主体はユーザーにあり、その人が自分のために、自分の力で自分について探求し、自分のことを理解したり信じられるようになることに役立つだろうと感じられている点にあると思います。ちょっと抽象的で何を言っているか解らない部分もあるかもしれませんが、ブログの良いところは書き直したり訂正したり出来る点ですので、機会があれば手直しをしたいと思います。

 

心理療法についてもう少し知りたいな、聞いてみたいなと感じて下さった方はぜひ、担当のカウンセラーに質問などされてみてください。当オフィスには様々なカウンセラーがいらっしゃるので、興味深い話なども聞けるかもしれません。

それでは、寒い日も続きますが、皆さまどうかご自愛ください。

2024年1月のメッセージ 担当:櫻井 由史

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

1月のメッセージを担当します。カウンセラーの櫻井由史です。

 

今回は『子ども頃に夢中になったこと』についてです。

幼い頃から振り返ると、いくつかのタイミングで、いろいろなものに夢中になっていたことを思い出します。

 

流行りものには何でも飛びつくような性格傾向ではありつつも、興味のないものにはぜんぜん引き込まれなかったり、何の脈絡もなく、自分の感覚(嗅覚?)で気になったものを取り入れてみたりと、わかりやすい子どもではなかったように思います。

 

そんな自分が夢中になったことの一つが『ポケットモンスター(ポケモン)』です。

1996年に発売されたポケモンですが、ブームになる前の段階で購入しています(発売日に買っています!)

 

それこそ、事前情報や知識もないまま、感覚に任せて、買ってもらいました。

当時、ゲームはガラスケースの中に陳列されているお店が多く、気軽に手で触れることはできなかったため、パッケージのイラストだけで購入を決めました(「キミにきめた!」ってヤツです)。

 

今や世界中で愛されているポケモンですので、当時の自分の選択、感覚はバッチリだったわけです。

そして、夢中になって遊んだ記憶は、今もなお、自分の中に残っています。

数年間、その記憶が更新されることはなかったのですが、ここにきて、変化が起こります。

 

『子どもの頃に夢中になったことに取り組んでみようキャンペーン』をはじめたのです。

 

いざ、キャンペーンを実施してみると、いろいろなことに気づきます。

何より、心が動く瞬間との出会いの多さに驚きます。

大人になることで触れる機会が少なくなってしまったかもしれない、子どもの頃にはたしかにあった心の動きを感じられるのです。

 

そして、自分自身の変化や成長を感じたり、子どもの頃の自分から学ぶことがあったりもします。

 

“好きなものはいつになっても好きなんだ”ということを実感し、

“好きなものを好きでいられる自分でよかった”と思いました。

 

夢中になれるっていいことなのだと改めて感じています。