2016年 11月のメッセージ 担当:田島

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で何をしてるか 僕は知らない
(或いは、ネリリし キリリし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨んでいく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

11月のメッセージを担当します。臨床心理士の田島です。
どんなテーマで何を書こう?と考えている中でふと、この詩が思い出されました。谷川俊太郎さんが1950年に書いた詩です。私は詩や文学に特別詳しいとか、もの凄く好きだという訳ではありませんが、私たち一人一人が本質的には孤独である一方でそれぞれに惹かれあっていたり不安を感じているという、矛盾するようだけど人と人の繋がりや結びつきはこういうものなんだということを鋭く表現されている詩だと思います。

この詩が作られてから66年後の私たちもそれぞれは一人なのだけど、家庭や学校や、職場で誰かと関わりながら生きています。電話や手紙だけではなく、メールやSNSなど(そういうものに疎い私が知らない様々なツールもあると思います)誰かと繋がるための方法は以前では考えられなかった程に発展しています。

しかし、カウンセリングという仕事をしていると人と繋がるためのツールは便利になっている一方で、他者との関係で悩みを抱えている人や、周りからは気が付かれないのだけど(気が付かれないようにしている人もいるかもしれません)不安な気持ちや孤独な気持ちを抱えている人が少なくない事に気付かされます。また、矛盾する様ですが、人との繋がりが強すぎるためにそれが負担に感じているという人もいたりします。

そのような自分の不安や孤独、人との結びつきを一人で考えようとするときりが無くなってしまうと言うか、考えが同じところを廻ってしまう事や、どうしたら良いかと困ってしまう事があります。そのような時に安心して自分の事を話せる場所や他者を求めてカウンセリングを利用される方もいます。

一つのものの見方に過ぎませんが、私たちは人との繋がりや結びつきについて悩んだり、傷ついたりすることがあります。一方で、それを癒すのは孤独ではなく、やはり人の存在や人の手によるものであるだろうと思います。

二十億光年の孤独と言うと少しスケールが大き過ぎるように感じますが、日常生活の中で孤独や不安が起こった時、それを何とかするための場所が身近にあったら良いなと思うし、そういう相談室として当オフィスを利用して頂けると良いなと思っております。

2016年 10月のメッセージ 担当:渡辺 弓子

こんにちは。10月を担当しております渡辺弓子と申します。
10月のイベント言えばハロウィンでしょうか。
さまざまな仮想をしてにぎやかなお祭りのイメージがあります。
このハロウィンですが、調べてみると、毎年10月31日に行われる、
古代ケルト人が起源とされる祭りのことだそうです。

もともとは秋の収穫を祝い、悪霊など追い出す宗教的な意味合いのある行事であったようです。
ただ特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮想して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習があるものとされています。
日本では、9月のお彼岸と稲刈りの時期が重なり、9月下旬から10月上旬が収穫の季節になるので、ハロウィンをみんなで楽しむのもあながち間違ってはないかもしれませんね。

ことに日本人は、昔から中国大陸や朝鮮半島からさまざまな文化や技術、哲学などを上手く取り込んで、日本の文化として発展させてきました。
異なる価値観や考え方をいったん取り込んで、日本の風土に合った文化として発展させていくためには、あくなき好奇心と探求心、そして何より異文化への畏敬の念があったからこそだと思います。
私も先人たちにならい、日々の生活の中で気になること知りたいことにちょっと立ち止まり、好奇心をもって過ごしていきたいと思っています。
皆様にもそれぞれに気になることやってみたいこと、知りたいことなどあると思います。秋の夜長にゆっくりと思いをはせてみませんか?

2016年 9月のメッセージ 担当:阿部 雄貴

皆様
こんにちは。
9月のメッセージを担当します、オフィススタッフの阿部雄貴と申します。
ここ最近は10月に控えております日本催眠医学心理学会に向けての準備で日々が矢のように過ぎております。

さて阿部真里子臨床心理オフィスは毎年
『キャンプ』
と呼ばれるクライエントさんも含めた一泊二日の研修会を
行っているのですが、残念ながら今年は学会の準備に全力投球のため、決行を断念せざるを得ませんでした。
ここ数年は長瀞で研修会を行っており
心と体を育てる、と言うスローガンのもと自然と触れ合ったり
仲間と共同生活を体験したりと穏やかな自然に囲まれた環境の中、とても素晴らしい時間を過ごせます。

さて、近年よく耳にする発達障害という言葉なのですが
結局は人それぞれ違っている個性の一つの側面が強く出ているにすぎない本来尊いものである、と考えられます。
ただ社会の集団やシステムの中でうまくいかなかったり
悲しくなったり、悩んだり、ストレスに感じたり。
そうした時にその個性は障害という形になり
順応、適応が本人や周りの人から求められるものになります。

発達障害は治療する、という性質の類のものというよりは
あくまでも個性として自己理解を深め、社会に対してどう関わっていくのかという日々の練習だったり、家族の理解や
ものの見方を違った角度から見てみることが大切な考え方の一つです。
子どもの頃や成長段階の関わりがどの程度、結果として
どのくらい反映するのか判別する手段は比較対象がないため
厳密には存在しない、測定不可能だと思われますが
毎年キャンプに行くとたくさんの笑顔に出会います。
これが希望にならない訳がないと強く思います。

何が言いたいかというと早くキャンプに行きたいです。笑
皆様、来年のご参加お待ちしております。

2016年 8月のメッセージ 担当:高田 康輔

8月のメッセージを担当させて頂きます、カウンセラーの高田です。よろしくお願いします。
あっという間に8月になり、今年の折り返し地点を過ぎてしまいましたね。
すでに今年も記憶に残るようなニュースが色々あったかと思いますが、いま世間をいや世界を賑わせていることの一つに「ポケモンGo」が挙げられるかと思います。
今回はポケモンGoをやってみて思い出した夏の思い出のエピソードです。

世間を賑わせているポケモンGoゲームボーイで発売された初代ポケモンに熱中していたので、期待もあり、配信後に私もすぐにプレイしてみました。子どもの頃は、ゲーム画面の主人公をフィールドの中を歩かせて出会っていたポケモンを、実際に自分が歩いて出会って捕まえる感覚は、あの頃に想像していたポケモンの世界に近く昔を思い出し、捕まえたポケモンを図鑑で見たり、育てたりとワクワクするものでちょっとした時間にプレイしてみたりと楽しんでいました。
そんな時、近所の保育園を通りかかったのですが、子どもたちが汗だくになりながら「あっちにいる!」、「ううん!こっちだよ!」などと話しながら園庭に響く蝉の声を必死に聞き虫取りをしている場面に遭遇しました。そんな子どもたちを見て「あぁ、そうだったよなぁ」と昔の自分を思い出しました。

いまも昔も、ぽっちゃりな私は、運動神経も悪くみんながさらりと出来るような動きも汗だくになりながらもなかなか出来ないような少年でした。そんな私でも人並みに虫は捕まえたいと思うわけで、夏になれば虫の声を聞いて探し回ってみたり、草の中を掻き分けてみたりとしていました。ゲームの中では歩いていれば、そのうち出会えるモンスターたちと違い、実際の虫達はそもそも出会うのが大変で、ゲームではボールを投げていれば捕まえられるモンスターも実際の彼らは見つけてもすぐにいなくなってしまうものでした。そんな私ですが、ある夏の日に偶然にも学校の帰り道の草むらにいた虫を捕まえられたことがありました。今思い出してもラッキーだったなと思うのですが、草むらにとまっていた背中に白い斑点のある虫に気がつき思わず手の伸ばして捕まえていました。いま思えば弱っていたから簡単に捕まえられたのかもしれませんが、それまでにダンゴムシやアリなどしか捕まえられたことのない私には感動できな出来事でした。家に帰り、何よりもまず母親に報告!嬉しかったのだと思います。その後は、虫を逃げないようにしてから図鑑でなんの虫なのか調べました。しばらく図鑑をめくり調べてみると「ゴマダラカミキリムシ」という虫だということがわかりました。みんなが捕まえる蝉やカブトムシと違いいままで見たこともなかったカミキリムシに凄いカッコいい!と興奮していました。その虫にはゴマちゃんとニックネームをつけ、それからは、毎日レタスをあげたり、暇な時間は眺めたりとゴマちゃんに夢中な毎日でした。そのうち、学校に連れて行きたくなりました、ちょっと自慢したい気持ちもあったのだと思います。学校に連れて行き、担任の先生に珍しいねと言われて、また友だちも皆興味津々で、そんな反応が嬉しく、何日か続けて学校に連れて行きました。そんな事をしていたら、それまで、元気だったゴマちゃんがある日動きが少なくなり始めました。その後は、みるみるうちに元気がなくなり、次の日には死んでしまいました。すごく落ち込む自分に母親は、「学校にもたくさん連れて行ったし、疲れちゃたのかな」と言われ、「なんで学校になんか連れて行ったんだろう、おうちにいさせてたらもっと一緒にいられたのかな」とすごく後悔し、また「生き物を育てるのって大変だな、難しいんだな」と感じたのを覚えています。その後は、母親と話をして家の庭にゴマちゃんを埋めてあげ、お墓を作ってあげました。これが私の夏の思い出です。そのあとにもカブトムシやらクワガタやらと飼ったような覚えもありますがやはりゴマちゃんとのひと夏は私にとってかけがえのない思い出であり、教訓なような気がします。

みなさん、ポケモンGoもいいですが、せっかくの夏です。スマホの中のモンスターだけでなく、公園や森にいる本当に生きている生き物を探しに行ってみてはいかがですか?
私はお盆休みにでも網とカゴを持って懐かしい虫探しをしようかなと思います。

お付き合いいただきありがとうございました。