厳しい残暑も一段落し、秋らしい爽やかな日々がようやく訪れました。
日ごとに夕暮れの時間が早くなり、ひっそりとした秋の夜長を感じるのがこの季節の特徴のように思います。
皆様は如何お過ごしでしょうか。
少し前の出来事ですが、ひょんなことから映画を見に行く機会がありました。
日曜日の日中に映画館に行ったのですが、ロビーやチケット売り場にも人はまばらで、劇場内も観客が隣り合わないように工夫をされているなど、以前ならちょっと異様な雰囲気に感じますが、感染対策という意味ではバッチリな環境で慣れてしまうとゆっくりと作品を鑑賞することが出来ました。
その日に見た映画は1930年代のウィーンを舞台にした作品でした。
私もそこまで詳しくは無いのですが、1930年代のウィーンと言うのは、それまでヨーロッパの文化や芸術をリードしてきた中心地だったところに、隣の国のナチスドイツが勢力を拡大してきて、少しは反抗をするんだけれど、結局はそこまで築き上げられてきた文化や歴史の上にナチズムが一気にそれらを席巻して、混沌とした時代に呑み込まれていく。
そんな時代と場所だったのだろうと思います。
映画の中でも、その混沌がよくよく現わされていて、世の中を悲観する人も居れば、淡々と日々の生業に勤しむ人も居るし、夜の酒場で世の中を風刺して喝采を挙げる人も居る。ナチスに反抗して怒りを露わにする人は早々に排除されてしまって、そこにはなんとも言えない無力感が表現されていました。
映画の主人公はそんな混沌にポッと身を置く羽目になって、とっても戸惑います。
冷めた目で社会を眺めて見たり、淡々と日々の仕事に取り組んだり、休日に恋をしたり、理不尽なナチスを怖いと思ったり怒りを感じたり・・・・目まぐるしく色々な心情が描き出されるのですが、外側の世界が混沌としてくると、個人の心の内側も混沌としてくる。そんな有様がしっかりと描かれていて、とても見ごたえがありました。
作中では混沌に戸惑って自分が何をしたら良いのか答えを求める主人公に老人が語り掛けます。
「どうしたらいいのか・・・その答えを知らないことが私たちの運命だと言える・・・私たちは答えを見つけるためにこの世に生まれてくるわけではない。問いかけるためなのだ。人は闇の中を手探りする。相当の幸運でもない限り小さな灯明すら見つからないものだ。そして生きた証を残すには、かなりの勇気か根性か愚かさ、あるいはその全てが必要だ。」
台詞の後半は、何だかとてもエネルギッシュで、本当に老人のセリフ!?という感じですが、とてもインパクトのある一場面でした。
この映画を見ていて、とても作品に曳き込まれるように感じたのは、作品が面白かっただけではなくて、時代や世の中の流れに翻弄されるのは現代を生きる私たちも同じだと感じたからです。
今年はコロナの流行のために私たちの生活は激変しました。その中で戸惑いを感じたり混乱を内に抱えている人は多いのでしょうし、そうなっても何ら不思議ではありません。
コロナが収束して世の中が落ち着いて来たら、私たちも安心して日々を過ごせるようになるでしょう。
しかし、そんな日々を生きていくためにはその都度誰かに答えを教えて貰うのではなく、自分でなんとなく不安も安心も抱えながら生きて行くことが出来るようになることなのだろうと思います。
私たちが阿部オフィスで提供している諸々のサービスも、そんな“生きて行くこと”の役に立てるものだったら良いな。そんな風に思います。