2024年7月のメッセージ 担当:遠藤 裕史

皆さん、こんにちは。7月のメッセージを担当します、カウンセラーの遠藤です。

暑い日が続いていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。まだまだ体が追いつかない方もいらっしゃると思います。電車に乗っていると何度かアナウンスで「急病人救護の対応をしています」と聞く場面もあり、自分も体調管理に気を付けようと思いました。

さて、メッセージを書くにあたって何か話題がないかと考えた時、なかなか思いつかないということに気が付きました。何を言っているんだとお叱りを受けてしまいそうですが、私にとっては何故こんなに思いつくのが難しいのかと考えるきっかけになりました。

私事ではありますが、昨年度に比べると今年度はこのオフィス以外で働く日数を増やしています。生活のことを考えれば働きに出るのは大事なことである一方、それまで使えていた自分の時間が減ってしまうという事態も招きました。私にとっては“あるある”の出来事で、先のことをしっかりと予測できなくて段々余裕を無くしやすいところがあります。今回も見事にそのパターンにはまってしまい、どうしたものかと頭を悩ませています。

自分の時間が持てないと楽しくないと感じますし、さらに家事ができないと落ち着かないなんてこともあります。いろいろなことに興味を持つ余裕が無くなってしまった分、こうしたメッセージの話題を思いつくことに影響が出てしまったのかなと自分なりに考えました。失敗したと思うと同時に、やってみて気が付くことではないかとも思いました。最初は何とかなるだろうと軽く考えていましたが、今までのやり方ではダメだと改めて痛感させられた出来事となりました。自分が何に時間を使っているのか、自分がやりたいことをするためには何をどうすると良いのか再検討してみたいと、今回メッセージを書きながら思った次第です。ただ、2024年も半分以上が過ぎてしまっているため、考えているうちに2024年が終わってしまったという事態は避けたいところです。

私の単なる振り返りにお付き合いいただきありがとうございます。皆さんも、何か上手くいかないという時、少し立ち止まって振り返ってみてはいかがでしょうか。急がば回れという言葉もありますし、そうすることが意外と近道という時もあるかもしれません。

 

 

2024年6月のメッセージ 担当:阿部 雄貴

皆さま、こんにちは。

6月のメッセージを担当します阿部雄貴です。

 

次回、この月のメッセージを書く際にやってみようと思っていたことがありまして、それは

 

【今流行りのChatGPTにメッセージを書いてもらおう!】

 

です。

 

自由度のわりと高い阿部真里子臨床心理オフィスのスタッフの毎月のメッセージなのですが、「何を書こうかな?」と考えていると日々たくさんの出来事が起こっているはずなのに意外となかなかに難しいのです。

 

そんな時こそAIを活用してみてはどうか、というのが今回の狙いです。

 

果たしてどんな結果になるのか…

 

【心理師による6月のメッセージ】

 

と入力して出力された結果が以下になります。


いかがでしょうか。

 

 

このまま何食わぬ顔でコピペしてシレっと提出しても求められている一定のラインは超えている様な感じもしますね。

 

検索キーワードを入力するのに3秒くらいかかったとしても恐るべき効率性だなと感じます。

 

しかしながらどこか内容に味気ないというか、何かを言っているようで何も言っていないような、目が滑る感覚があってほとんど印象に残らないのは私だけではないかと思います。

 

大きく間違っていることを言う訳でもなく、正しそうな事を基本言っているとも思います。

しかし、やはりそこには面白みがないように感じてしまいます。

 

適材適所ではあるかと思いますが、この阿部真里子臨床心理オフィスの月のメッセージにはそぐわないようですね。

 

しかし、「温かみのある文章で!」とか「もっとおもしろおかしく!」など詳細に条件指定をすると、ある程度それに応えてくれますので早々に諦めてしまうのは勿体ないです。

 

あくまで3秒かからず入力した結果が以上の内容ですので。

 

改めてすごい時代が来ていますね。

 

でもなんとなく人は

 

「多少間違っていたとしても自分の興味のある人が物事をどう見ているのか知りたい」

 

と感じていて、そこに面白みや価値を見出すことが場合によってはあるのではないでしょうか。

 

またそれこそがAIの脅威に対する普遍的な人間の優位性でもあるのかなと思いました。

 

 

最近、自分で夕飯を作る時にChatGPTに

 

【ナス、ピーマン、豚肉を使った簡単で美味しい料理の作り方】

 

と入力したりして出てきた文章通りに作ることがあります。

 

そうすると

 

“簡単で、可もなく不可もないようなちょっと美味しい料理”

 

が出来上がります。

 

皆さまもぜひ、デジタル新技術の上手い使い方を探して楽をしてみてくださいね。

2024年5月のメッセージ 担当:斯波 涼介

こんにちは、カウンセラーの斯波です。

5月のメッセージなのですが……提出が5月の「末」になってしまいました。

大変申し訳ありません……

 

5月も末ですから、もう梅雨入りも間近というところです。このメッセージを書いている今も、まだ梅雨ではないらしいのですが大雨が降っています。

「線状降水帯」が発生するかもしれないとのことで……でつまりこれはもう梅雨なのではないでしょうか?

 

雨が降れば外出するのも少し大変になるので、自然と室内で過ごす時間が増えてしまうかと思います。

「室内で過ごす」となると、皆さんはどんなふうに時間を使うことが多いでしょうか。

TV・動画鑑賞・読書(小説/マンガ/雑誌など)・音楽鑑賞など、さまざまなことが思い浮かびますが、最近はインターネットの発展で、上記のどれもが昔よりも手軽に、かつ幅広く選択できるようになっていますね。

 

ちょっと話が変わりますが、人というのは年齢を重ねていくうちに「以前に経験・見聞したこと」を繰り返すようになりがちだ、という話を聞いたことがあります。

つまり先に挙げた例ならば「昔観た映画」だとか、読んだことのあるマンガや小説を繰り返し観たり読んだりしがちだということです。若い頃から好きな音楽を繰り返し聴くという人もいるでしょうし、子供の頃に夢中になったゲームを懐かしみながらリプレイするのが好き、なんていう人もいるかもしれません。

 

私も多分に漏れず、そういった行動をしがちな人間ではあるのですが、とくに「ゲーム」なんかだと「昔が懐かしい」という理由と同時に「現代のゲームについていけない!」なんていう気持ちが本音として隠れていたりもします。漫画なんかでも、昔とはだいぶ表現方法が異なったりしていることもありますよね。

でも「ついていけない」となると、それはそれで悔しいので(笑)、頑張って、興味を惹かれたゲームには挑戦したいとも思っているのですが、そう言いながらも選んだゲームはまた、どこかレトロな雰囲気のものであったり……

 

「昔を懐かしむ」ということが、悪いわけでは全然ないと思います。懐かしさに惹かれて観返したり、読み返したりして、新しい発見があったりもします。

でも、なんというか、上に書いたような「悔しい」という気持ちに後押しされてでも、新しい、未知の領域のものを見たり聞いたり読んだり、という姿勢も、ある程度は持っていたいなぁとも思います。それこそインターネットやら何やらを駆使すれば、そういうことも以前よりはだいぶ楽に経験できるようになっているので。

 

また「懐かしい」というのはちょっと違いますが、「以前から知ってはいるものの、じつはちゃんと読んで/観ていない」なんていう小説とか映画とかって、けっこうあるんじゃないでしょうか。

そういったものに目を通してみる、なんていうのも、ちょっとおもしろいかもしれませんよ。

今はスマホで「青空文庫」という、著作権が切れた文学作品を無料で読めるサイトやアプリなどもあります。私はこれで、まさに「知ってるけどちゃんと読んだことない」にあたる、フランツ・カフカの「審判」を読み始めてみたのですが、すごい読みごたえがあります。完読できるかどうか……スマホ画面にして444ページもあるんですよ。

ちょっとした挑戦です。(画像は冒頭のスクリーンショット)

 

 

2024年4月のメッセージ 担当:大月 浩史

こんにちは。カウンセラーの大月です。

 

先日、自分が小学校や中学校で研修講師として話している内容をデータ化してAIに分析してもらうという体験をさせていただきました。すると「愛」について一番多く語っているという結果が出て驚きました。「教育は愛だ」と以前から思っていたのですが、内面と言動が一致しているということは嬉しいことでした。

 

 

そもそも、教育に限らず福祉も医療もみんな「愛」が根底にあるはずです。しかし、忙しさの中で、また具体的な行動や対応の中で「愛」についての感覚が薄くなっていく。毎日のルーティーンとして機械的に動いてしまったり、目の前のものに集中して目的を見失ってしまったり、相手のためにやっていたはずが自分のためになってしまっていたり。愛を持って人に接するって本当に難しいことだなと思います。

 

 

ディズニー映画の「アナと雪の女王」の中で雪だるまのオラフが「真実の愛とは自分よりも誰かのことを大切に想うことさ。」みたいなことを言っているのを観て、なるほどなぁと思いました。愛とは見返りを求めないものなのかと。

 

 

見返りを求めないってすごく難しいですよね。自分も完全にできていません。たまに「こんなに頑張っているのだから、もう少し報われても良いのになぁ」と思ってしまいます。

 

 

例えば「怒り」にしても「悲しみ」にしても、見返りを求めているから起こることです。期待していた反応ではなかったから怒ったり傷ついたりするんですよね。見返りを求めないように生きるということは、人間関係のストレスから解放されることなのかもしれません。

 

 

ところが、見返りを求めない行動をしていると、思いがけずに誰かに感謝されたり、滞っていた物事がうまくいったりすることがあります。求めている時には得られないのに、求めなくなったら手に入る。なんとも不思議ですが、人生とはそういうものなのかもしれません。

 

 

ビートルズがその昔「愛こそすべて」と歌っていましたが、本当にそう思います。心がないAIが「愛」という答えを導き出すのは面白いなと思いました。そんなAIの評価に負けないよう、私も愛のある人間でありたいと思います。