2021年 1月のメッセージ 担当:大月浩史

こんにちは。カウンセラーの大月です。

 

2020年は本当に大変な年でしたね。コロナ以前とコロナ以後では世界がまったく違うように感じられます。感染症対策の新しい生活様式だけでなく、社会における様々な価値観やコミュニケーションの質も変化しているからでしょう。

 

 実際に私もライフスタイルに大きな変化がありました。仕事量は減っていないのですが、いかに生産性を向上させるかに意識を向けて仕事の効率化を図り、浮いた時間を家族に使うようになりました。時間を有効に使えなければ、すべてをこなせません。私は欲張りな人間なので、何かを減らして何かを得るのではなく、両方得るためにどうすればいいかを考えてしまいます。

 

 ここ数年、時間の使い方の本が売れていますが、ほとんどの本で言われているのは、「何をするかではなく、何をしないかを決めなさい」というものです。いかに無駄を省いて自分の時間を作るか。「○○はしない!」というマイルールを決めてしまうのです。

 

 例えば、私が実践しているのは「テレビは見ない」「面倒だと思う家事は夜にやらない」「睡眠時間は削らない」などのマイルールです。

 

テレビは長時間視聴者を釘付けにしてコマーシャルを見てもらうように作られてますので、情報量が基本的に薄く、まとまった時間を奪われてしまうので見ません。また、ショッキングな内容にして視聴率を稼ぐシステムですので、必要以上に視聴者の不安や怒りをあおる傾向にあり、精神状態も悪化することがあるので注意が必要です。

 

 朝は脳にとってゴールデンタイムと言われていて朝活も流行っていますが、私は朝こそ家事をするのがベストではないかと思います。仕事や人間関係で疲れて帰宅した後と、起きた直後で体力も気力もある状態では、作業スピードもモチベーションもまったく違います。また、軽作業をすると脳のやる気スイッチが押されてその後の仕事の集中力も変わります。

 

 時間がない人は睡眠時間を削って時間を作る傾向にあると思いますが、それは健康には良いとは言えません。若い人はそれでもなんとかなりますが、ある程度の年齢からは耐えられません。また、慢性的な睡眠不足は徹夜した人と同じ脳の状態になると言われています。つまり、脳のパフォーマンスが低下して生産性や集中力が落ち、仕事や人間関係に全力を注ぐことができません。

 

これらは一例です。必ずしもそうしましょうということではありません。何が言いたいかというと、「習慣」が人を作っているということです。人間関係の悩みや、仕事の悩み、体調の悪さ、精神状態の不安定さなど、すべては私たちの生活に結びついています。「習慣」を変えることで身体も心も変化していきます。自分の体調や精神状態や悩みは自分でコントロールできないと思っている人が多いと思いますが、コントロールできないことに悩むのではなく、コントロールできる行動を変え、習慣を変えることで違った自分になるのはいかがでしょうか。

 

この文章を読んで「抑うつで動けないから習慣を変えるのは難しい」と考える人もいると思います。大きな変化を起こす必要はありません。できることで良いのです。習慣を変えるコツは「やっても良いかな」「やりたいな」ということだけすることです。私は寝るのが好きなので睡眠時間を削らないというルールは続けることができます。やりたいことを習慣化しましょう。

 

いつも忙しい人は予定表に数時間だけ「自由時間」と書き込んでみましょう。頑張ってる人は「頑張らない時間」と書きましょう。やることだけを予定表に書く人生から、やらないことを大切にする人生に変えることで、違った未来が訪れるかもしれません。

 

 私は週末の夜は「ビール」と決めています。この原稿を書いているのは土曜日の朝です。朝活ですね。そして今夜は週末の夜ですので、ぐーたらしながらビールを飲みます。コロナで世の中が変化しても私は人生を楽しむことに変わりはありません。そして、そのための努力を惜しみません。つまり、「頑張らない」ために「頑張る」のです。なんか変な感じですが、肩の力を抜き、適度にふざけつつ、だらだらしながら2021年も乗り越えていきましょう。

 

f:id:abemarico:20201225175229p:plain


 

2020年 12月のメッセージ 担当:櫻井 由史

12月のメッセージをお伝えします。カウンセラーの櫻井由史です。

 

今年も残すところあとわずかとなりました。

この1年間はイレギュラーなことばかりでしたね。

このメッセージを作成するにあたり、ポジティブなことをお伝えしていきたいと思いつつ、なんか、ちょっと無理している自分がいるのに気がつきます。

 

いや~、世の中がこんなに長期間とても大変な状況の中、ポジティブな側面に焦点をあてていくことは、なかなかハードですよ(´-ω-`)

 

…とこういう感じで思っていることをそのまま文章にしてみちゃうと、なんだか心がラクになります。

どうしてでしょう?

たぶん心に正直で、今の自分とぴったり寄り添っている感じだからだと思います。

強がっていないし、飾っていないのもいいのかもしれません。

こうなってくるとメッセージもさくさく進みます(笑)

心がいきいきしているようにすら感じます。

 

あー、きっと、僕の場合、このような状況の中、年の終わりのメッセージを担当するということに対して、勝手にプレッシャーを感じていたのでしょうね。

こんな時だからこそ、“何か大切なことを伝えたい”とか、“読んだ人が少しでも元気になってほしい”とか。

さらに言えば、“そういうメッセージを作成しなければ”とすら思っていたように思います。

“○○しなれば”とか“○○すべき”いう言葉には、少し極端な方向へとシフトしがちなニュアンスが含まれます。

 

どういうメッセージが、誰に、どのように届くのか。それは考えてもわからないものでもあります。

一生懸命、苦戦しながら絞り出したメッセージの良さもありますが、今回のようなちょっと変化球なメッセージもまた違った味わいがあるのではないでしょうか?

 

それでは、お体に気をつけてお過ごしください。

 

f:id:abemarico:20201127184435p:plain

 

2020年 11月のメッセージ 担当:阿部雄貴

11月のメッセージを担当させていただくカウンセラーの阿部雄貴です。

 

f:id:abemarico:20201109165401p:plain

前回に引き続き映画の話で恐縮ですが

 


【鬼滅の刃】


大流行していますね。
先日映画を観てきました。

 

ぼろぼろ泣きました!

 

鬼滅の刃の良いところを1つ挙げるとしますと、登場人物に感情移入をしやすいところでしょうか。

 

人は皆、誰かの兄であり、妹であり、姉であり、弟であり、娘であり、息子であり、母であり、父であり、仲間であり、友達であり、味方であり、敵であり、ライバルであり、師匠であり、弟子であり…いろいろです。

 

そして、そんな中でも炭治郎たち兄妹は家族愛だけではなく、敵である鬼にすらも戦闘後は悲しい境遇に敬意を払うような人類愛と博愛の精神に溢れていて、強く優しくかっこいい。

 

反面まだまだ弱くてかっこ悪くて頑張り屋な部分も人間的で魅力的なのかなと思います。

 

今回の映画はアニメの続きの話なのでAmazonやNetflixで予習していけばさらに楽しめます。

 

正直、アニメだけを観ている時はそこまでハマれなかったのですが、映画を観て180度くらい気持ちが変わり、またアニメを見直してしまいました。


これは面白い…!

 

設定とか世界観が体に馴染むまでに大人ならではの抵抗感からか、ちょっとだけ時間がかかるかもですが、どっぷり浸ると細かいことが気にならなくなり、大事な本質の部分だけを抜き出して楽しめるような感覚がありました。

 

いちいち必殺技を大声で叫びながら繰り出すことを批判的に咎める必要はないのです。

 

きっと子供に人気なのは素直な目線でそのまま観ることが出来ているからなのかなあと思います。

 

これまでアニメと映画で原作コミックスの8巻くらいまでしか進んでいないので、更なる続編の映像制作にも期待大です。

 

f:id:abemarico:20201109165525p:plain

 

先日立ち寄ったカレー屋さんにコミックスがあったので続きを読んでみました。笑

 

 

人間関係の結びつきを希薄に感じがちな現代ですが、これだけこんな作品が流行っているのですから多くの人が人との結びつきを求め、大切にしたいと願っているのではないかなと思います。

 

これからの時代、思いやりと愛情を大事にできる世界にどんどんしていけたらいいですね!

 

煉獄魂!!

 

風邪など引かないように引き続き、手洗いを徹底しましょう!

 

2020年 10月のメッセージ 担当 田島

厳しい残暑も一段落し、秋らしい爽やかな日々がようやく訪れました。

日ごとに夕暮れの時間が早くなり、ひっそりとした秋の夜長を感じるのがこの季節の特徴のように思います。

皆様は如何お過ごしでしょうか。

 

少し前の出来事ですが、ひょんなことから映画を見に行く機会がありました。

日曜日の日中に映画館に行ったのですが、ロビーやチケット売り場にも人はまばらで、劇場内も観客が隣り合わないように工夫をされているなど、以前ならちょっと異様な雰囲気に感じますが、感染対策という意味ではバッチリな環境で慣れてしまうとゆっくりと作品を鑑賞することが出来ました。

 

その日に見た映画は1930年代のウィーンを舞台にした作品でした。

私もそこまで詳しくは無いのですが、1930年代のウィーンと言うのは、それまでヨーロッパの文化や芸術をリードしてきた中心地だったところに、隣の国のナチスドイツが勢力を拡大してきて、少しは反抗をするんだけれど、結局はそこまで築き上げられてきた文化や歴史の上にナチズムが一気にそれらを席巻して、混沌とした時代に呑み込まれていく。

そんな時代と場所だったのだろうと思います。

 

映画の中でも、その混沌がよくよく現わされていて、世の中を悲観する人も居れば、淡々と日々の生業に勤しむ人も居るし、夜の酒場で世の中を風刺して喝采を挙げる人も居る。ナチスに反抗して怒りを露わにする人は早々に排除されてしまって、そこにはなんとも言えない無力感が表現されていました。

 

映画の主人公はそんな混沌にポッと身を置く羽目になって、とっても戸惑います。

冷めた目で社会を眺めて見たり、淡々と日々の仕事に取り組んだり、休日に恋をしたり、理不尽なナチスを怖いと思ったり怒りを感じたり・・・・目まぐるしく色々な心情が描き出されるのですが、外側の世界が混沌としてくると、個人の心の内側も混沌としてくる。そんな有様がしっかりと描かれていて、とても見ごたえがありました。

 

作中では混沌に戸惑って自分が何をしたら良いのか答えを求める主人公に老人が語り掛けます。

「どうしたらいいのか・・・その答えを知らないことが私たちの運命だと言える・・・私たちは答えを見つけるためにこの世に生まれてくるわけではない。問いかけるためなのだ。人は闇の中を手探りする。相当の幸運でもない限り小さな灯明すら見つからないものだ。そして生きた証を残すには、かなりの勇気か根性か愚かさ、あるいはその全てが必要だ。」

 

台詞の後半は、何だかとてもエネルギッシュで、本当に老人のセリフ!?という感じですが、とてもインパクトのある一場面でした。

 

この映画を見ていて、とても作品に曳き込まれるように感じたのは、作品が面白かっただけではなくて、時代や世の中の流れに翻弄されるのは現代を生きる私たちも同じだと感じたからです。

 

今年はコロナの流行のために私たちの生活は激変しました。その中で戸惑いを感じたり混乱を内に抱えている人は多いのでしょうし、そうなっても何ら不思議ではありません。

コロナが収束して世の中が落ち着いて来たら、私たちも安心して日々を過ごせるようになるでしょう。

 

しかし、そんな日々を生きていくためにはその都度誰かに答えを教えて貰うのではなく、自分でなんとなく不安も安心も抱えながら生きて行くことが出来るようになることなのだろうと思います。

 

私たちが阿部オフィスで提供している諸々のサービスも、そんな“生きて行くこと”の役に立てるものだったら良いな。そんな風に思います。

f:id:abemarico:20201002200639j:plain