2019年 9月のメッセージ 担当 飯田杏奈

いつもスタッフブログを読んでくださり、ありがとうございます。

 

9月のメッセージを担当させていただきます、飯田です。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

私が以前メッセージを担当させていただいたときは、いつだっけと思いながら過去のスタッフブログをさかのぼってみると、なんと2016年の2月!!3年以上も前でした。

 

月日が流れるのはとてもはやいなあと、驚きとともに少しセンチメンタルな気持ちになりました。

 

皆さんは、ここ3年間どのようにお過ごしでしたか。

 

楽しいこと、悲しいこと、うれしいこと、怒ったこと、落ち込んだこと、なんでもないこと、どうでもいいこと…きっといろんな日々があり、その人それぞれの3年間があったのかなあと思います。

社会的には、豪雨の災害や、平昌オリンピック、平成から令和へ…などありました。

春日部駅からこのオフィスまでの風景もちょっぴり変わりました。

 

私の3年間は、と言いますと、変化ばかりの日々でした。

 

住む場所が変わったり、ライフスタイルが変わったり、職場も変わったり…見た目も好きなものも変わりました。

脳は変化を嫌う、と言いますが、まさに私の脳は変化についていけず、「また変わるの?もうやめてくれ!」状態でした。つまりは、ヘロヘロでした。

 

でも、そんなとき、このオフィスに来ると3年前と変わらない空間を感じて、とても穏やかな気持ちになれるのです。

待合室の音楽を聴いて公園を眺めたり、キッチンでクライエントさんのお茶の準備をしたり、スタッフとお話をしたり。

そんな時間が暖かく、懐かしく、愛おしくまで感じてしまいます。

変わらないって素敵だなあと。

そして、ちょっとほっこりした気持ちで帰路につくのです。

 

でも、よく考えると、変わらないなんてことはなくて、このオフィスも多くの変化をしているのですが…

私の心の中では「変わらない場所」になっているのかもしれません。

不思議です。

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皆さんにとってこのオフィスはどのような場所ですか。

 

目まぐるしく変わる日々から離れて少し肩の力を抜いてほっとできる、そんな場所になっているといいなあと、そして、そんなお手伝いをできたらよいなあと思っています。

 

暑かった夏が終わり、9月もなにかと変化の多い時期ですね。

そんなときこそ、心と体、ご自愛なさってください。

皆さんの9月も素敵な日々でありますように。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

2019年 8月のメッセージ 担当 大月浩史

8月のメッセージを担当させていただきます、カウンセラーの大月です。

 

 

突然ですが、このメッセージを書くときにはいつも悩みます。私は不特定多数の人に向けて何かを発信したいという欲がないのです。

 

例えば、講演会や研修の講師として話すのであれば、依頼されているテーマやねらいにそって内容を考えますが、このメッセージについては何の制約もありません。結構困ります。主婦が夫に「何食べたい?」と聞いて「何でもいい」と返されるようなものです。困りますよね?

 

仕事の話をするわけにもいかないし、最近私的なことで目新しい何かがあるわけでもないし、とくに皆さんに言えそうなことも浮かびません。そうも言っていられないので最近よく考えていることを箇条書きにしてみます。

 

 

・みんなもっと笑顔にならないかなぁ

・家族と過ごせる時間を増やしたいなぁ

・ビールが飲みたいなぁ

 

 

・・・だいたい、こんなものしかありません。カウンセラーらしく、「ヨガはじめました」「リラクゼーションやアロマにはまっています」とか言ってみたいですが、そんなおしゃれな生活をしておりません。すみません。

 

 

私は「笑顔が笑顔を生む」ということをいつも考えながら仕事をしています。例えばカウンセリングしているとして目の前の方の笑顔はもちろん、その場にいない、その方が語る周囲の人間も笑顔になったら良いなぁと考えています。

 

いつも家族のために頑張っているし、労働の後のビールは「この一杯のために生きている」という感じで最高に美味しいですね。

 

「この一杯のために生きている」で気付きましたが、普段ぼんやり考えていた「笑顔にならないかなぁ」「家族と過ごしたいなあ」「ビール飲みたいなぁ」の3つは、「そのために生きている」という私個人の生きる意味みたいなものに結び付いているのかもしれませんね。これはまったく意図していなかったので、面白い発見でした。

 

 

何気ない日常の想い、気付き、願い。そういったものを丁寧に拾って、大切に扱ってあげると、生きる上でのヒントみたいなものがわかるのかもしれません。自分自身もそうですが、誰かに対しても同じです。誰かの何気ない言葉に心を配り、感謝したり、苦労をねぎらったりしたいものです。お互いに支え合う、認め合う、育ち合うというのはそういうことの積み重ねから始まるのかなぁと思いました。

 

思ったより深い話になりました。なんとか紙面も埋まりましてほっとしております。皆様の何気ない言葉を大切に扱うカウンセラーとして今後とも努力をしていきたいと思います。読んでいただきまして、ありがとうございました。

 

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2019年 7月のメッセージ 担当 櫻井由史

7月のメッセージをお伝えします。カウンセラーの櫻井由史です。

 

数ヶ月前になりますが、4人組ロックバンドのflumpool(フランプール)が"HELP"という曲をリリースしました。

 

flumpool(フランプール)はボーカルの山村隆太さんが歌唱時機能性発声障害という病気にかかり、一時活動休止していました。

 

現在、リハビリにより、山村さんが再び歌えるようになったため、活動を再開しています。

 

山村さんは、この体験で感じたことを"HELP"の歌詞にのせ、勇気を出して"助けて"というメッセージを伝えることの大切さを歌っています。

 

僕たちカウンセラーが出会う人の中にも、その濃度にはグラデーションがあるにせよ、同様のメッセージが含まれていると思います。

 

僕は、カウンセリングには、カウンセラーとの繋がりの中で、言葉では表現できないような時を共にし、ご本人の力で再び歩き出す、そんなイメージがあります。

 

カウンセラーが何もかもしてあげられるわけではないですし、時に何もできないこともあります。

それでも、"助けて"というメッセージには、ちゃんと目を見て、向き合うことはしたいです。

そういう人でありたいです。

 

flumpool(フランプール)が世の中に発信したメッセージが、無駄にならない世の中であってほしいです。

 

対人援助職というものが、この世の中に存在しているということを、もう一度、ちゃんと考えてみたい。そんな気持ちになりました。

 

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2019年 6月のメッセージ 斯波 涼介

皆さん、こんにちは。

遅くなってすみません。6月のメッセージを担当いたします、斯波です。

 

5月末~6月頭としては異例な高気温が記録され、ようやく落ち着いてきたと思ったら間もなく梅雨が到来しますね。ジメジメして過ごしづらい季節ですが、少しでも爽やかさを感じられることがあるといいですね。

 

さて突然ですが、どういうわけか私の周囲では、このところ立て続けに「もの」が壊れてしまいました。

まず、雨戸のシャッターのカバーが外れてしまいました。ネジ部分が外れてしまったのですが、ただネジが取れたのではなく、途中でネジが折れてしまって、そのネジを取り外すことができず、カバーを付けなおすことができなくなってしまいました。

続いて、愛用しているゲーム機が4ヵ所ほど次々に壊れてくれました。

その次には、お風呂場の網戸(バネの力で開閉する)が軋んで動かなくなり、網戸が閉められなくなってしまいました。

 

業者に依頼するなり修理に出すなりすれば話が早いのでしょうが、お金もかかるし、できたら自分で直せないかな……。そう考え、シャッターカバーに埋まってしまったネジをどうにか外そうと、工具をいろいろ買ってきて、トータルで5時間ぐらい頑張ってみました。しかし残念ながら、とっかかり部分を無くしたネジはビクともしません。あきらめて業者にお願いしたところ、なんと5分で修理完了。ちょっと泣きたくなりました。

でもゲーム機のほうは、インターネットで色々調べ、分解してみて、交換部品を取り寄せ……などと画策し、どうにか自分で直すことができました! それでも時間はずいぶんかかりましたが。ゲーム機は修理に出すと、その間数週間はプレイを我慢しなきゃいけないので、どうにか自分で直したかったのです。

そして網戸。もう少ししたら蚊が大発生する季節(しかも水気のある風呂場!)なので、これは早急に何とかしなければなりません。自力で取り外すことはできたのですが、バネの入ったギミックの仕組みがどうにもわからず、これも業者に依頼するか、丸ごと交換品を買ってくるかしなければならないようでした(どこで売ってるかも知らないのですが)。

しかし、外した部品をよーく観察してみて、さらに分解できる箇所を発見。その場所を開くと中が錆びっ錆びに錆びていたので、それをきれいに磨きつつ、構造を解明し、これもどうにか自力で直せました。やはり悪戦苦闘しながらなので、ものすごい時間がかかりましたけど……。

 

以上3つばかりのものを直してみて改めて感じたのは、「自分で直せた」というのは、私にとって「とっても嬉しい」体験だったということです。直せなければ捨てなければならない、買い替えなければならないものを、再び「使える」状態に直すことができるというのは、非常に達成感があるものでした。

そしてまた、直そうとする過程では、その「もの」がどんな構造をしていて、どのようなメカニズムで動くのかを、必ず知ることになります。それも素敵な体験でした。

 

ただ、決してその道のプロではないので限界もあります。シャッターは結局直せなかったし、直せたものも、ちょっと「引く」くらいの時間がかかりました。

また、機械は分解してしまうとメーカーの保証が受けられなくなるばかりでなく、その後の修理を(有料でも)断られる場合もあります。電気機器を扱うときは内部に蓄積された電気で感電などの危険があります。ゲーム機内の電圧なら高くないかもしれませんが、家電製品などには「電源を完全に遮断していても」高電圧が溜まっていて、命に関わるほどの事故が起こることもあるので、素人が触れるのは非常に危険です。

じゃあ電気機器でなければ安全かというとそうでもありません。大きなものを生半可に直して、後から再び壊れたら怪我をしてしまうかもしれないし、そもそもその修理作業で怪我をしてしまうこともあります。

 

そのように自己責任が付きまとうし、技術的にも時間的にも決して効率が良いとは言えないのかもしれませんが、それでもやっぱり「自分で直せた!」という体験は、とても嬉しいものです。

そしてまた、私などがやればこんなに非効率的なことを、ヒョイヒョイっと解決してしまう技術をお持ちの業者さんや、そもそものその「もの」を作った人々に対して、深い尊敬と感謝を感じられる体験でもありました。

 

私たちが日ごろ何の気なしに利用している様々な「もの」のどれもこれもに、非常にたくさんの人々の技術と工夫が詰まっているのだと、改めて実感できました。

安全に十分気を付けるということが大前提ではありますが、壊れたものを「とりあえず直そうとしてみる」なんていうのは、うまくいってもいかなくても、どちらにせよ貴重な体験になるのかもしれないなぁ~、などと考えてみたりしました。

 

お家に「壊れたもの」が転がっているのを見つけたりしたとき、もし少し時間があったら、それを「直そうとしてみる」と、いろいろな発見ができるかもしれませんよ。

 

 

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